技術情報

【連載】深海ライラの音響空間ノート(第2回)

逆二乗則とK2から考える「測れる音場」の作り方

2026/01/25

はじめに

「無響室で測っているはずなのに、結果がばらつく」 「周波数によって、信頼できる帯域とそうでない帯域がある」 「条件を変えていないのに、再現性が取れない」

音響測定や評価のご相談を受けていると、このような切実な声を聞くことがあります。 設備としては立派な「無響室」であっても、それが測定環境として本当に成立しているかどうかは、全く別の問題なのです。

今回は、その判断軸となる「逆二乗則」と「環境補正」の考え方から、「測れる音場」とは何かを整理していきます。

自由音場は「理想状態」ではありません

「自由音場(Free Field)」という言葉は、ときに「完全に反射がない、宇宙空間のような理想状態」と誤解されます。 しかし、実際の測定現場では、自由音場とは理論的な理想状態ではなく、「確認できる状態」を指します。

その確認方法として用いられるのが、逆二乗則(Inverse Square Law)です。

逆二乗則は「理論」ではなく「チェック方法」

点音源から放射された音は、距離の二乗に反比例して減衰します。 「距離が2倍になれば、音圧レベルは約6dB低下する」。これは物理の授業で習う有名な法則ですが、測定現場で重要なのは、この関係が「どこまで、どの周波数で成立しているか」です。

  • 少しマイクの距離を変えただけで、-6dBの関係が崩れてしまう。
  • 特定の周波数帯だけで、減衰が乱れる。

このような場合、その空間は建屋としては「無響室」であっても、測定に使える自由音場とは言えません。

無響室設計を縛っていた「附属書K」という考え方

ここで、少し歴史を振り返ります。 旧規格 ISO 3745:2003 には、無響室の設計指針として 「附属書K(Annex K)」 が設けられていました。

この附属書では、無響室を成立させるための条件が、非常に具体的に示されていました。

  • 壁や天井の吸音材は、対象周波数において垂直入射吸音率 0.99以上であること。
  • 吸音楔と背後の空気層を含めた長さは、対象波長の 1/4(λ/4)以上であること。

これらは、自由音場を確実に実現するための、当時としては合理的な設計指針でした。

「耳がツーンとする無響室」が当たり前だった理由

この条件を満たそうとすると、必然的にグラスウールを用いた非常に長く巨大な吸音楔が必要になります。その結果、多くの無響室は、

  • 入った瞬間に違和感を覚えるほど静か。
  • 音が吸い込まれすぎて、圧迫感を感じる。
  • いわゆる「耳がツーンとする」感覚が生じる。

といった空間になりました。当時は、この状態こそが「性能の高い無響室の証拠」と考えられていた面もあります。

2012年改訂:評価軸の転換

しかし 2012年の規格改訂 により、附属書Kは削除されました。これは、無響室設計における評価軸が大きく転換したことを意味します。

それまでの設計は、

  • どの材料を使っているか?
  • 吸音率がいくつか?
  • 楔の寸法が基準を満たしているか?

といった 「構造・仕様中心」 の考え方でした。

改訂後は、評価の軸が次の一点に集約されます。 「結果として、自由音場が成立しているかどうか」

「どう作ったか」より「どう振る舞うか」

この変更により、無響室設計は大きな自由度を得ました。吸音率の数値や楔の長さに縛られることなく、材料や形状を柔軟に選べるようになったのです。 重要なのは、「どんな材料を使ったか」ではなく、「音場がどう振る舞っているか(逆二乗則が成立しているか)」が評価されるという点です。

環境補正という考え方

音響パワー測定などでは、「環境補正」という概念が用いられます。(ISO 3744におけるK2値など) この補正は、「測定後に値を調整するための便利な係数」と理解されがちですが、設計の視点では意味合いが異なります。

環境補正は、

  • 反射や干渉の影響がどれだけ残っているか。
  • 音場の不確かさがどの程度か。

を示す、「音場の状態そのもの」を表す指標です。

補正値は「結果」であって「操作対象」ではない

環境補正値は測定によって算出されますが、その値を後から操作することはできません。 吸音構造の配置、反射面までの距離、周波数ごとの反射特性。こうした要素の積み重ねが、最終的な補正値として現れます。

そのため設計では、「補正をどう引くか」ではなく、「補正が小さくなる(=自由音場に近い)音場をどう作るか」という視点が重要になります。

「測れる音場」とは何か

ここまでの話を整理すると、「測れる音場」とは次の条件を満たす空間です。

  1. 逆二乗則が、必要な距離範囲で成立していること。
  2. 周波数帯によるばらつきが小さいこと。
  3. 測定条件を変えても結果が再現すること。

これは、「建物の名前が無響室かどうか」ではなく、「音場の振る舞いが検証できているか」で判断されるのです。

次回予告:組み立てる音響空間

次回は、「組み立てる音響空間 ― 無響室・防音室・無響箱という選択」

「大きな無響室だけが解決策ではない」理由。そして、測定対象に合わせて音響空間をスケール(規模)で設計する考え方を、ソノーラの視点から整理します。

それでは、また次回のノートでお会いしましょう!

—— 深海ライラ

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