技術情報

【連載3/3】 音響屋が「測らない」と決めた夜

「When You Sleep」はなぜ溶けるのか — 音を“固定しない設計”の分解 —

2026/03/03

第1回では「測らない」と決めた夜の体験を、第2回ではシューゲイザーという音楽が音響的に成立する理由を整理しました。

今回はその具体例として、My Bloody Valentineの代表曲「When You Sleep」のイントロ構造を、音響屋の視点で実際に再構築し、分解してみます。あらかじめ断っておくと、これは完コピを目指したものではありません。楽曲を忠実に再現するのではなく、「なぜあの音が成立するのか」という構造そのものを解体・検証する試みです。

百聞は一見に如かず。まずは、私たちが検証したこちらの動画(約7分半)をご覧ください。

動画で体感していただいた通り、あの音はノイズが偶然重なってできたものではありません。極めて意図的に設計された構造を持っています。ここからは、動画内で起きていた現象について、音響屋の視点からさらに深く解説していきます。

1. 設計思想:「音を固定しない」

今回の再構築で一貫していたのは、次の一点です。音の高さ・位置・時間を、一点に固定しない。

通常の音楽制作では、音像を明確にする、中心を作る、タイミングを揃える、立ち上がりをはっきりさせるといった方向に設計が進みます。しかし「When You Sleep」は、その逆を選んでいるように感じられます。固定しない。しかし崩さない。この両立が、音の独特な浮遊感を生んでいます。

2. ベース構造:中心を置かない低域設計

今回の再構築では、ベースで使用したのは、上側成分(+1oct)と下側成分(-1oct)の2トラックのみです。

一般的には、基音を中心に据え、倍音で存在感を補強します。しかし今回は逆の設計です。中心を強く押し出さず、上下から低域を包み込む。その結果、「密度はあるが、ここが中心と言い切れる一点はない」という状態になります。低域が“柱”ではなく、“圧力”として存在する。第2回で触れた構造とも通じる設計です。

3. ギター構造:揺れの多層化

使用ギターは Gretsch Tennessee Rose。本来、My Bloody Valentineといえば Fender Jazzmaster が象徴的です。私もJazzmasterは所有しています。ただ、その日は会社にありませんでした。

結果的に、これが面白い選択になりました。Jazzmasterはエッジの立った分離感がありますが、Tennessee Roseはフルアコ構造とFilter’Tronピックアップの影響で、やや丸く、密度のある響きになります。そのため、Bigsbyアームでわずかに揺らしたとき、輪郭が強調されるというより「滲みが広がる」方向に作用します。

ギターは4トラック。左右に広く配置し、完全に同一タイミングには揃えていません。それぞれがわずかにズレ続けています。この微細なズレが、音の位置を一点に固定させません。結果として、音は広がるが、収束しないという状態が生まれます。

4. エフェクト:揺れと滲みを前提にする

ギターには常時、コーラスとテープエコーをかけています。これらは装飾ではありません。前提条件です。コーラスは時間方向の揺れを増幅し、テープエコーは音の始まりを丸めます。

立ち上がりが明確だと、音は固定されます。しかし始まりが曖昧になると、音は塊として知覚されます。揺れと滲みを最初から織り込むことで、音は一点に留まらなくなります。

5. Reverse:空間ではなく時間を曖昧にする

通常のリバーブは、空間を作ります。音の後ろに残響が続き、物理的な広がりを感じさせます。

一方、Reverse Reverbは違います。残響が先に現れ、音の始まりが曖昧になります。空間を拡張しているのではなく、時間の輪郭を曖昧にしている。その結果、音は後ろに伸びるのではなく「前から溶ける」ように感じられます。 (動画の 4:45〜 の変化がまさにこれです)

6. フレーズ構造:メロディすら固定しない

イントロのフレーズも、上側と下側の2トラックのみで構成しました。原音は置いていません。

ベースと同じ思想です。メロディであっても、中心を強く固定しない。低域も、ギターも、フレーズも、すべてが「一点に留めない」方向に設計されています。

7. なぜ崩れないのか

ここまで固定を避けながら、なぜ音楽として崩壊しないのでしょうか。それは、不安定さが制御されているからです。揺れの量は過剰ではなく、帯域は埋まっており、密度は確保されている。無秩序ではありません。

制御された不安定さ。それが、この音が成立している理由のひとつだと考えています。

8. 音響屋としての対比

私たちが無響室や半無響室で追求しているのは、再現可能な音場、反射の制御、定量評価です。しかしこの音楽は、再現性よりも揺れ、明瞭度よりも密度、定位よりも拡散を選びます。

音を遮断する世界と、音に貫かれる世界。その対比こそが、今回の連載を通して感じた最も興味深い点でした。

終わりに

今回の再構築は、あくまでひとつの整理です。しかし、中心を置かない低域、揺れを前提にした多層ギター、時間を曖昧にするReverse。こうした積み重ねが、シューゲイザー的な音の構造を形作っているのではないかと考えています。

音を固定しない。それでも崩れない。その設計思想は、音響屋にとっても非常に示唆に富むものでした。

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